近代日本言語史再考 V――ことばのとらえ方をめぐって 電子書籍版
3960円(税込)
作品内容
日本において「国語」はあって当然のようにみなされてきた。しかし、多言語社会日本を考える際には、こうした考え方を相対化し、より柔軟な多言語へのまなざしを見出していく必要がある。つまりは、「国語」からはみえないものへの視線をとりだすことが必要とされる。なにかを「とらえる」ということは、意志的なものであり、みたくないものはみない、みたいものだけをみる、ということだ。本書は、歴史的に「みえない」ものとされた、そして現在も日本社会で「みえない」ものとされていることばたちを念頭におき、「みる」側の構図をえがきだす。[目次]はしがき xv序章 「国語」からみえるもの / みえないもの 11 はじめに 12 国語ということば 23 国語と国家と政策と―国語調査委員会 64 国語政策と方言、そして多言語性 85 日本語政策 126 おわりに―多言語へのまなざし 16注 17第一章 ことばをどのようにみようとしてきたのか―近代日本における「言語学」の誕生 191 はじめに 192 「博言学」ということば 233 帝国大学言語学 384 比較言語学への懐疑 485 まとめにかえて―日本言語学のもうひとつの形 56第二章 「言文一致」がみえなくすること─作文・日記・自伝 671 はじめに 672 日記をつけることは伝統か 713 作文教育のあり方 744 作文教育の延長としての日記 855 日記教育の事例―南弘の娘の日記 896 おわりに 95第三章 虐殺とことば―関東大震災時朝鮮人虐殺と「一五円五〇銭」をめぐって 1031 はじめに 1032 証言のなかの「一五円五〇銭」 1133 壺井繁治「十五円五十銭」をめぐって 1214 おわりに―あらたな流言に対処するために 129第四章 となりの朝鮮文字 1411 はじめに 1412 関東大震災と朝鮮文字 1463 男子普通選挙と朝鮮語・朝鮮文字 1524 おわりに 158第五章 朝鮮人の言語使用はどうみえたか―村上広之の議論を中心に 1631 はじめに 1632 村上広之という人物 1673 村上広之の論理 1794 おわりに 188第六章 「ひとつのことば」への道からみえるもの―斎藤秀一編『文字と言語』をめぐって 2011 はじめに―復刻にあたって 2012 方言の問題について 2153 斎藤秀一の言語観―唯物論言語理論の影響 2284 中国のローマ字運動への関心 2465 斎藤秀一の情報網 2846 おわりに 286第七章 「ことのはのくすし」は何をみていたのか―陸軍軍医監・下瀬謙太郎をめぐって 3071 はじめに 3072 下瀬謙太郎略歴 3113 中国と医学 3184 言語問題の前線へ 3265 中国の文字改革への興味 3316 医学用語統一への道 3517 おわりに 371第八章 漢字廃止論の背景にみえるもの―敗戦直後の労働争議とからめて 3911 はじめに―敗戦直後の漢字問題 3912 「漢字を廃止せよ」と『読売報知』 3963 「漢字を廃止せよ」の内容 4004 「漢字を廃止せよ」のゆくえ 409第九章 スターリン言語学からみえるもの―民主主義科学者協議会編『言語問題と民族問題』をめぐって 4191 はじめに 4192 スターリン「言語学におけるマルクス主義について」 4213 模倣されるスターリン 4404 おわりに 452終章 「やさしい日本語」がみおとしているもの 4651 はじめに―社会変動と言語 4652 語られない多言語社会 4703 「やさしい日本語」は使われるのか 4794 おわりにかえて 484あとがき―初出一覧 489
作品情報
作者の関連作品作者の作品一覧