蘇我王朝の正体 電子書籍版
1650円(税込)
作品内容
明日香=飛鳥の地が蘇我王朝の居城であった! 見瀬丸山古墳(欽明)、双墓(ならびばか…蝦夷と入鹿)、天武と持統の檜隈大内陵(八角墳)、馬子の墓(石舞台古墳)が東西一直線に並ぶ明日香=飛鳥は“天井のない歴史博物館”とも呼ばれる。 4世紀後半から5世紀にかけて朝鮮半島から加羅系と百済系の新旧二つの渡来集団の史実を無視して日本古代国家の成立を明らかにすることはできない。 百済の蓋鹵王の弟昆支(応神、倭王武)と弟の余紀(継体)は大和川と石川の合流点の羽曳野に本拠を置く加羅系の倭の五王済のもとに婿入りした。 全長525メートルの大山古墳(伝仁徳陵)に昆支王の弟余紀(継体天皇)が埋葬され、誉田陵(伝応神陵)に昆支王(応神、倭王武)が埋葬された。倭王武の晩年の子欽明は安閑の娘石姫を皇后とし、昆支王を始祖王とする蘇我系豪族の娘堅塩媛を妃とした(531年の辛亥のクーデター)。その後、欽明は后の堅塩媛とともに大和橿原の見瀬丸山古墳に埋葬された……。 この仮説を否定するには見瀬丸山古墳=畝傍陵墓参考地の発掘調査しかない!
作品情報
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