証言 アントニオ猪木 1983年新日本プロレス・クーデター事件 電子書籍版

  • 証言 アントニオ猪木 1983年新日本プロレス・クーデター事件 電子書籍版
  • 2200円(税込)

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    作品内容

    “俺の首をかっ切ってみろ!”――アントニオ猪木は逆下克上発言を誰に放ったのか? 1980年代最高視聴率を記録、観客動員も絶好調だった“闘いのワンダーランド”は栄光の頂点から底なし沼に落ちた。アントン・ハイセル問題に端を発し、IWGP決勝での猪木失神KOと長期欠場、タイガーマスクの電撃引退、クーデター派による猪木への社長退陣要求など、新日本帝国の瓦解と人間・猪木の苦悩に肉薄。【目次】第1章 「クーデター事件」が証明した猪木“不屈”の人間力佐山聡藤波辰爾木村健悟細田昌志第2章 裏切りのクーデターを招いた猪木の夢「アントン・ハイセル」猪木啓介谷津嘉章第3章 「猪木舌出し失神事件」で崩れ始めた“闘魂神話”の舞台裏古舘伊知郎富家孝第4章 「タイガーマスク引退」が象徴した猪木“絶対時代”の終焉杉山頴男✕ターザン山本田中ケロ第5章 激動の1983年に発覚した「アントニオ猪木監禁事件」の真実添野義二特別コラム「猪木監禁事件」もう一人の当事者“二丁拳銃の唐田”の証言【著者について】藤波辰爾ふじなみ・たつみ●1953年、大分県生まれ。70年に日本プロレスに入門。72年、新日本プロレス旗揚げに参加。ジュニアヘビー級のスターとして活躍し、82年からヘビー級に転向。長きにわたり新日本のエース格として活躍し、「名勝負製造機」と称される。99~2004年には新日本の社長を務めた。06年、新日本を退団し、「無我ワールド・プロレスリング」に参加。08年、団体名を「ドラディション」に変更し、今も現役続行中。15年3月、猪木に次ぐ日本人2人目のWWE殿堂入り。佐山聡さやま・さとる●1957年、山口県生まれ。75年に新日本プロレスに入門し、76年、プロレスデビュー。海外武者修行を経て、81年にタイガーマスクとしてデビュー。その華麗な動きで一大プロレスブームをつくり上げ、新日本の黄金時代を支えた。83年、人気絶頂のさなかに引退。翌年、第一次UWFに参戦。UWF離脱後、シューティング(現・修斗)を設立し、近代総合格闘技を創始。2005年にはストロングスタイルプロレスを設立し、初代タイガーマスクとして現在も活躍。22年7月には新武道「神厳流総術」を発表。古舘伊知郎ふるたち・いちろう●1954年、東京都生まれ。1977年、テレビ朝日にアナウンサーとして入社。同年7月には『ワールドプロレスリング』実況中継担当に。「風車の理論」「名勝負数え唄」「掟破りの逆サソリ」「四次元殺法」「人間山脈」「一人民族大移動」「わがままな膝小僧」などの独特な表現は“過激な実況”として人気を博し、新日本プロレスの黄金期を支えた。84年6月にテレ朝を退社。以後はフリーアナウンサーとして87年3月まで同番組の実況を務めた。猪木啓介いのき・けいすけ●1948年、神奈川県生まれ。猪木家の末弟で、アントニオ猪木は一つ上の兄(5歳上)。57年に一家でブラジルに移住。71年に帰国し、新日本プロレスに営業として入社。アントン・ハイセルなどのブラジル関連事業にも携わる。その後、事業専念のためブラジルに渡る。2002年、猪木に請われ、永久電池事業の責任者として帰国。猪木夫人との関係から、一時期、猪木と没交渉が続いたが17年に再会。闘病生活を送った猪木の晩年を最期まで支えた。

作品情報

出版社
宝島社
提供開始日
2026/10/19
ジャンル
ビジネス・実用

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